神
校長先生が長期休み前後の集会でひっきりなしに「神はいるかどうか考えてみてくださいね」とか去年も言ってたのに今年も言ってたので集会のときに仕方なく思考してました(暇人)
以下思考
神、は言ってしまえば私たち人間が、理解できない現象、わからないもの、とても感動して言葉に表せない、そんなことなどを「神」という言葉とそのイメージにのせて置き換えているものではないのでしょうか
ある時は恵みの雨を神と呼んだり、ある時は飢饉や災厄を神の祟りと呼んだり、ある時は目の前で起きた不思議な現象を神の仕業と呼んだり、ある時はとても出来がいい作品を神として褒めたり…
そう、たとえばそれは数学で分からない値をXやYと置くのと変わりはないのではないでしょうか
幸い我が国には八百万の神という「たくさん神はいますよー」という便利なシステムがあります、これはもう神を置きたい放題ですね
そうして「神」と置いた現象を崇めたり信仰したり称えたり信じなかったり…こうした"使い方"はもう最近のスマホ等のアプリケーションなどにとても類似しています、もう神はアプリケーションといっても過言ではないでしょう
その「神」を置いている、つまり神を生み出してるのは誰でもなく人間、つまり私たちなのです
神を生み出している人間…つまりこれはもう私たちは神を超えたといってもなんら不思議ではないでしょう
以上、結論
俺は神を超えた